霧幻ノ世界 バナー

第1章 prologue
「里伽子、あんたそろそろ合格発表なんじゃないの?」
リビングで本を読んでいたあたしの背中に母さんの声が響く
「そうね」
気のない返事を返すあたしに母さんはなおも話しかけてくる
本、読んでるんだから話しかけないでよ…
「『そうね』ってあんた見に行く準備しなくていいの?」
「行かない」
「行かないって、あんた第一希望の八橋大よ?」
「どうせそのうち合格通知がくるでしょ。
 見に行くだけお金の無駄よ。
 それにもうマンションの仮予約は済んでるし、
 向こうに用事なんかないじゃない」
「あんたほんとに冷めてるわねぇ。
 そんなだから彼氏もできないのよ」
「彼氏なんて、いらないわよ」
「まったく、どうしてこんな子に育ったのかしら…」
母さんはブツブツいいながらも、
諦めてキッチンに向かったようだ。
………
……

「なぁ夏海、本当に帝王大、受ける気はないのか?
 我が校から初めての合格者になれるだけの力は
 充分にあると思うんだが…」
「先生、何度も言ったはずです。
 あたしは大手商社が希望なんです。
 そのためには大手商社の就職に強い八橋大に行くのが
 最良の選択、そう思いませんか?」
「いや、まぁそうだが…」
「では、失礼します」
里伽子はもともと頭がよく、また努力家だった。
県内有数の進学校というわけでもない高校から八橋大に行く
それだけでもすごいことだ。
………
……

実際、八橋大に落ちているなんて全く思ってもいない。
だから、見に行くだけ無駄。
とはいっても親としては心配なのだろう。
たしかインターネットでの発表もあったはずだし、
あとで見てみようかな…


「それじゃあ、行って来ます」
「里伽子、気をつけるんだよ。
 都会は何があるかわからないからね。
 悪い男とか詐欺に引っかからないようにね」
 「あたしがそんなものに引っかかるように見えますか。
 それに、母さんも見たでしょ?」

『東京って、どこでも人がいっぱいいるわけじゃないんだ…』

これがキャンパスを見に行ったときの第一印象。
あのとき母さんは、一人暮らしをするというのなら
自分も目で見て納得できるところじゃないと駄目だといって、
無理矢理ついてきた。
八橋大の周りは、海が見えないことを除けば、
この辺にもありそうな感じだった。


人生が、大きく変わるなんて思ってもいなかった。
そんなあたしの大学生活が、これから始まろうとしている…。




第2章 新歓コンパ
「イッキ! イッキ!」
入学式から数日、今日は新歓コンパがあった。
毎年この時期に学部の新入生を集めて行っているらしい。
だから、すごい人数だ。
あたしは喧騒の中心を避けて隅の席にいた。
お酒が入ると、人は本音が出る。
だから、人間観察。
「そんな隅の方でさみしそうにしてないでさあ、
 一緒に飲もうぜ」
「………」
また、か…。
こうして話しかけてくる男は何人目だろうか。
「あたし、こうゆうの苦手だから」
「そうか、じゃあ隣いいかな?」
疑問形ではあるが、返事は待たずに座り込む。
「あ、おれ堀部ってんだけどさあ…」
そして、彼は話し始める。
………
全く興味のなさそうに返事をしていると、
やがて彼も、諦めて去っていった。


「よ〜し、次は二次会だ〜」
夜は、まだ終わりそうにない。
あたしは特に用事もなかったし、
そのまま参加することにした。


二次会、三次会と流れて、人もかなり減ってきた。
時計の針は、もう次の一周を始めている。
ここは、大学近くの雑居ビル内のバー。
さっき、『そろそろ終電が…』とかいって、
一緒に話していた女の子も帰ってしまった。
気が付くと、ここにはもう2人しかいない。
「すげぇな東京は、みんな酒強いよなぁ」
全員が東京出身というわけでもないだろうに…。
「あ、俺さ、高村ってんだ、え〜っと…」
「夏海、よ」
………
「昔さ、姉さんがさあ…」
「…」
なに、こいつ。
馴れ馴れしいだけじゃなくて、シスコン!?
でも、不思議と他の男に比べて、下心が感じられない。
…あ、そうか、シスコンだから感じないんだ。
「それでさ、そんときに…
 って、聞いてる…のか?」
「ここには2人しかいないんだから、
 聞いてるに決まってるでしょ」
あたしがあまりにもつまらなそうに相槌を打つので、
聞いていないと思ったのかもしれない。
でも、なんだか…
「居心地、いいかも」
「え、なんか言ったか?」
「え、ううん、なんにも」
危ない、思ったより飲んでるかもしれない。
思わず口に出てしまったみたいだ。
「それでなぁ、そんときねぇさんがさぁ…」
「あんた、その話3回目よ…」
「んん〜、そうなのか?」
高村はわかったようなそうでもないような
微妙な返事をしてコップを空ける。
「そろそろラストオーダーの時間になりますが…」
バーテンが声を掛けて来た。
もう店内にもあたし達しかいない。
「あたしは…もういいわ、あんたは?」
あたしは横の高村に聞いてみる。
「んん〜」
「ちょっと…高村?」
高村は、机に突っ伏すとそのまま寝息をたて始めた。
まさか、潰れた…の?




第3章 以後、公認とさせていただきます
「お客様、大丈夫ですか?」
バーテンの声が聞こえる。
「あ、大丈夫だと思います」
倒れたわけじゃなくて、
単に酔いつぶれて寝てるだけ…。
でも、どうしよう…。
「タクシー、呼びましょうか?」
「あ、すいません。お願いします」

バーテンに手伝ってもらいながら、
高村をタクシーに詰めこむ。
バーテンは気を利かせて、女性ドライバーの
タクシーを呼んでくれたようだ
「え〜と、…までお願いします」
告げたのは、あたしのマンション。
タクシーが来るまでの間に、
どうにかしてこいつの住所を聞き出そうとしたのだが…
その苦労は徒労に終わった。
「ほんとうに、しょうがない奴」
あたしはドライバーの手を借りて高村を部屋まで運ぶと、
とりあえずソファに寝かせると、
予備の布団を出してそこに掛ける。
「今日も大学、あるのよね…
 ゆっくり寝てる時間、ないか…」
あたしは手早くシャワーを浴びると、
濃いコーヒーを淹れ、外を見た。
まだ5時だ、空は暗い。
あたしはコーヒーを飲み干すと、
仮眠をとることにした。


「ふあぁ…
 うわ、頭いてぇ…」
春の日差しが暖かいお昼前。
どうやら高村は目が覚めたようだ。
「ん…?」
そして、違和感にも気付いたようだ。
「ここ、どこだ?」
「おはよう、高村」
「ん? え、えぇ!?
 い、いや俺は何を…」
高村は何かブツブツ言っているが、
とりあえず無視して話を続ける。
「はい、水。
 それに二日酔い、酷いでしょ? 薬も」
「あ、あぁ、サンキュ」
高村はイマイチ状況を飲み込めていないようだが
水と薬を受け取り一気に流し込む。
「ふう…」
高村は一息つくと、恐る恐るといった感じで口を開いた。
「な、なあ、俺、昨日何かしたか?」
「憶えてないの?」
「い、いや…途中までなら記憶があるんだが…」
「まあ、そうでしょうね。
 あんた潰れちゃって家の場所も言えないし、
 ほっとくわけにもいかないから、
 しょうがなくここに連れてきた、ってわけ」
「そう、か
 悪いな、初対面でこんなに迷惑かけて…」
高村は情けないような安堵のような表情をしながら
謝ってきた。
「そう思うんなら少しは自重しなさいよ。
 でも、そんなに迷惑ってわけでもないから。
 気にしないでいいわよ」
思いがけず厳しい口調になってしまったので、
フォローの言葉を口に乗せる。
でも、ある意味これも本心。
昨日のような寄ってくる男どもを追い払う、
いい方法を考え付いたから。
「ところで高村?
 あんたも午後の講義とってるわよね?」
「あ、ああ」
高村は虚を突かれたような返事を返してくる。
まったく、どこまでニブいんだか。
「時間、あんまりないけど家に帰る時間、あるの?」
「…。今、何時だ!?
 …いや、それよりまずここはどこだ?」


「なあ、夏海」
「なに、高村」
午後の講義が終わり、帰ろうとしたあたしを
高村が呼び止める。
「お前いったい何を言ったんだ?
 さっきから周りの視線がものすごく痛いんだが」
「別に。単にみんなから、
 『朝、なんで高村といたの』って聞かれたから、
 昨日泊まっていったからよ、って答えただけよ」
「な…」
唖然とする高村は、それでも懸命に頭を働かせ、
「な、なに考えてんだお前!?
 そんなこと言ったらみんな誤解するだろうが」
さらに困惑している。
「そうね。
 おかげで今日は大変だったわよ?
 責任取りなさいよね」
「責任、って…」
目を白黒させる高村にあたしは
「人の噂も75日って言うし、
 しばらくしたら静かになるわよ。
 それに…これで無駄な付き合いもしなくて済みそうだわ」
「まさか…」
「そういうこと。
 あんたとあたしは付き合ってるって思わせとけば、
 男は誰も、あたしには寄って来ない。
 じゃあ高村、これで昨日の分はおあいこってことで」
「おまえ、ちょっとは俺の事情も考えろよな」
「なによ、あたしじゃ不満だって言うの?」
「いや、そんなことないけど…。
 って、そうじゃないだろ!」
………
……


人生を変えた運命の出会い。
『つまんない恋物語』が動き出す…。





第4章 天に召します…
新歓コンパの日からちょうど1週間。
『夏海が高村と付き合ってるらしい』
この噂は想像以上のインパクトを持っていたらしく、
瞬く間に学部中に広がったようだった。
そして、あたしに注がれていたであろう男たちの視線は、
多少感情を捻じ曲げた形で、高村へと集まった。
「なあ、夏海」
「あ、高村。 なにか用?」
「飯行かねえ?
 俺の友達みんな午後取ってないみたいでさ、
 帰っちゃったんだよ。付き合い悪いよなぁ」
「…わかった」
「学食でいいよな?」
「いいけど…」
「ん、いやだったか?」
今の時間、学食なんかであたしと2人でいたら、
間違いなく学部の人たちに見られて、
遠巻きに噂されるのがオチだろう。
だが、高村はそんなこと全く気にしている様子はない。
これは…むしろ、気付いていないのかもしれない。
「別に。その性格、
 ある意味うらやましいって思っただけ」
「何だそれ? 感じ悪いなお前」
「お生憎様、こういう性格でございます」
軽く憎まれ口を叩きあいながら学食へ向かう。
空いている席を探し、荷物で席をキープし、
食券を買いに席を立つ。
「俺、あっちだから」
と、右の麺類のコーナーに行きかけたあたしに、
高村は声を掛けて左に歩き出した。
パスタを持って席に戻ると、
ちょうど料理を受け取る高村の姿が目に入った。
「悪い、待たせたか?」
「別に。 1分も待ってないわよ」
「そうか」
「って…、高村? あんた何その食事は。
 卵ばっかりじゃない」
親子丼に、オムレツ、そして持ち込みと思われる
小さな缶ドリンク、ミルクセーキ。
「バランスいいだろ?
 主食、主菜に副菜だぞ」
「あんた絶対に成人病になるわよ…」
「だいじょうぶだって。
 じゃあ、父さん、母さん、兄さん。
 いただきま〜す」
「………」
「あ…」
いぶかしげな表情のあたしを見て、
高村は『しまった』という感じの表情に変わる。
「う、うちではそう躾けられてたんだよ…」
あたしが口を開こうとしたとき、高村はそう言った。
明らかに、苦しい言い訳。
でも…はぐらかされておこう。
「そう…変わった家庭ね」
複雑な事情がありそうだし、本人が話したくないのなら、
触れないほうがいい。
「………」
「………」
だが、会話は止まり、空気が重くなった。
2人の静けさに、
あたしたちのことを噂する声が、かすかに耳に届く。
「そう…だな」
先に沈黙を破ったのは高村だった。
「うん…?」
「今日、飲みに行かないか?
 夏海には、話しておきたいんだ」
「いいけど…潰れないでよ?」
「きょ、今日は潰れねぇよ!」
「どうだか」
「大丈夫だって。
 じゃあ、新歓コンパのとき最後に行ったバーあっただろ?
 あそこでどうだ?」
「それでいいわ」


「あたしちょっと図書館に用事あるから」
「なら俺もいくよ。
 どうせ開店まで暇だし」
「邪魔、しないでよ?」
バーの開店時間までまだ間があるので、
あたしは今日の講義の気になったところを調べることにした。
「あ、あった。
 ん〜、やっぱりあの教授間違ってるじゃない」
「そうなのか?
 つかおまえ、よくそんなの気付くな…」
「高村は特別鈍くできてるものね」
「お、おまえなぁ!」
「図書館で叫ばないの」
まだ高村はブツブツ言っているが、
そんなことは気にせず次の調べ物へと移る。
「なあ、夏海。
 お前なんでそんなに熱心に勉強してるんだ?」
「え…」
「大学生っていったら、もっと遊ぶもんだろ?」
「あきれた考えね。
 今、就職厳しいのよ?
 そんな考えじゃ就職浪人ね」
「んなっ!」
「あたしは、大手商社が希望なの。
 だから成績だけじゃなくて、知識が必要なのよ」
「………。
 夏海は、すごいな」
「あんただって目標くらいあるでしょ?」
「目標、か…」
高村は少し考えると
「まだそんな将来のことは、イメージできねえよ」
と返してきた。
「そんなに先の話、ってわけでもないじゃない」
「そんなもんかな?」
呆れた奴…。
大学生にもなって、自分の将来のことも考えたこと、
ないのかしら。
「さてと、これで終わり…かな」
「じゃあ、そろそろ行くか」
開店時間まで、もう少し。
今から歩いていけば、ちょうどいい時間だ。
「そうね」
あたしたちは、ピュア・プラチナへと歩き出した。




第5章 家庭事情
「さあさあ、まずは飲もうぜ。
 あ、マスター、え〜と…バーボンで」
「じゃあ、あたしも」
コップが琥珀色の液体で満たされる。
高村は、それを1口飲むと、
「とりあえず、腹ごしらえだな」
と言いながらメニューを開く。
明日の講義は午後からだし、まだ夜は長い。
ゆっくり、付き合ってやるかな。
「じゃあ、あたしは…これで」
そのメニューを横から覗き込み、料理を選ぶ。
「お前、決めるの早いな」
「あんたが優柔不断なのよ」
「そ、そんなことないぞ」
「声、裏返ってるわよ」
「ぐっ…
 じゃ、じゃあ俺はこっちで」

「ふぅ、うまかったな」
「そうね」
「ここ、雰囲気もいいし、安いし、
 穴場って、感じだな」
 「うん」
 「あ、マスター、おかわり」
「………」
腹ごしらえも、済んだ。
お酒も、入った。
もう充分に舞台は整ったはずだ。
高村は、無言で見つめるあたしの視線に気付くと、
「そうだな、そろそろ話すか…」
と、決心した。
「高村の両親は、俺の『本当の両親』
 ってわけじゃあ、ないんだ」
「………」
 「7年前の、1月に…俺の『本当の両親』、
 杉澤の両親は、事故で、亡くなって…。
 まだ、中学にも入る前だし、兄貴も、大学卒業前だったし、
 2人で生活するのは、さすがに無理だったから、
 俺が、養子に出ることになったんだけどさ…」
「………」
杉澤…。どこかでその名前を聞いたような気がする。
でも、どこだろう? 思い…出せない。
「兄貴は…現役で帝王大に合格して、しかもスポーツ万能で、
 まさにスーパーマンだったんだけど、
 俺は、平凡で、しかも当時は病気がちでさ…。
 そんな影の薄かった俺だけを、
 引き取ろうって言う親戚はなかなかいなくて…」
「その状況に業を煮やした高村の伯父さんが、
 俺を引き取ってくれたんだ」
「そう、だったんだ…」
「高村の家には3つ年上のお姉さんがいてさ、
 兄さんしかいなくなった俺に、両親と、姉さんができた」
「でさ、去年、兄貴と、
 『姉さん』が結婚したんだ」
「あ…」
そうか、どこかで聞いたと思ったのは、こいつの口からで、
それは、高村のお姉さんの名前だったんだ。
「兄貴は、パティシエの姉さんのために、
 喫茶店兼自宅の一戸建てを、買ってさ。
 かなわねぇよな…。
 でも、兄貴も去年の11月に、海外で事故にあって…」
「高村…」
普段の高村は、そんな不幸の影は、
全く感じさせなかった。
でも、今の表情を見れば、
辛い思いをしていたことがわかる。
「ごめん…、そんな辛いこと話させちゃって」
「いいよ、俺が話したかったんだし。
 それに、兄貴の方は、俺よりも、
 姉さんの方がショックだっただろうし…
「………」
また、姉さん…か。
でも、高村のシスコンには、
そんな深い理由があったんだなぁ…。
「悪いな、なんか飲む空気じゃ、なくなっちったな…。
 そろそろ、帰るか」
「そう、ね」
「マスター、お会計、お願いします」

「じゃあ、また明日、な」
「また明日、ね」
駅で高村と別れたあたしは、今日のことを思い返していた。
高村の、思いもしなかった、暗い少年時代。
そして、家族の不幸。
今日の高村を見る限りは…
「いろいろ、無理、してるんだろうなぁ」
周りの人に、心配をさせまいとして。
高村の、その優しさに、好感が持てた。
けど、
「無理のし過ぎは、よくないよ」
あたしは、空に向かってつぶやく。
マンションが、見えてきた。
「家族、か…」
マンションに着くと、あたしは電話を手に取った。
「あ、母さん?」
「あら、里伽子、どうしたの?」
「ううん、ちょっと声が聞きたくなって…」
………
……





第6章 説得
「おい、高村」
「………」
「…高村?」
「え、あ、あぁ、なんだ?」
「お前、ちゃんと俺の話し聞いてたかぁ?」
「あ、あぁ、聞いてたぞ。
 えっと…イラク情勢についてだったか?」
「そんな話、全くしてねえよ」
「…すまない木崎、最初からいいか?」
「やっぱ聞いてないのかよ。
 だからさぁ…」
高村が、友達の誰かと話しているのが見える。
「あいつ、最近なにを悩んでるのかなぁ…」
そう思うほどに、考え込んでいる時間が長い。
今度、聞いてみるかな。
あたしはそう考えると次の講義の準備を始めた。

今日の講義も全て終わり、
教室は大量の人を吐き出していく。
そんな中、ちょうど1人になった高村を見つけ、声を掛ける
「高村、ちょっといい?」
「ん…夏海か、どうした?」
「最近…何か悩み事でもあるの?」
「あぁ、なんだ。 ちょっと、考えてたんだ」
「考えてた?」
「お前さ、この前目標が何とかって、言ってただろ?
 考えてみたんだけど、俺、やっぱりファミーユを、
 兄貴が、姉さんのためにつくった喫茶店を、
 オープンさせてやりたい、そう思うんだ」
「え…!?」
高村が、突拍子もないことを言い出す。
「あんた、なに考えてんのよ。
 大学は、どうするつもりなの?」
「どうもしないぞ。
 それに、まだ決まったわけじゃないしな」
「そう、まぁせいぜい頑張りなさい」
「なっ! 何のためにお前にこんな話、したと思ってんだよ」
「決意表明?」
「お前、絶対わかってていってるだろ」
「さぁ、見当もつかないわ」
「だから、もしオープンが決まったら…」
「嫌よ」
「言い終わる前に答えるなよ」
高村が『やっぱわかってんじゃねぇかよ』と、
言いたげな表情で返す。
「いいだろ? だってお前、バイト探してるんだよな?」
それは、紛れもない事実。だが…
「確かに探してるわ。
 でも、学業に支障が出るバイトなんて、
 本末転倒もいいとこじゃない」
「でも…」
「聞いて損したわ。
 それじゃああたし、帰るから。
 じゃあね」
何かを言いかけた高村を振り切って、
あたしは帰路についた。
結局、その週高村は、あたしに会うたびに
『兄貴が姉さんのために〜』とか、
『他より時給良くする〜』とか、
そんなことばかり話してきた。
結局、あたしに断られるなんて、
考えてもいなかったのだろう。

『ほんと、考えなしなんだから…』


翌週…
「なぁ、夏海。
 今から時間あるか?」
「え…? 講義、あるじゃない」
「大丈夫だって。どうせ出席とらないし、
 それにノートもプリントも、友達に頼んである」
「すっかり大学生になっちゃって…」
「な、いいだろ?」
「はぁ、しょうがないなぁ」
「サンキュー」
そういいながら歩き出した高村についていく。
大学前の通りに出ると、高村はタクシーを呼び止めた。
「え…。 どこにいくの?」
「まぁ、着いてのお楽しみってことで」
「いったいなんなのよ…」
………
……

「え…。 ここは…」
ここは、住宅街。
そして、その中でも比較的大きめの建物。
高村は躊躇いもせずその建物に近付き、
ポケットから鍵を取り出した。
「入っていいぞ」
「え…」
困惑しながらも、高村に続いてそこに入る。
「ここが、その喫茶店なんだ」
「そう…」
そして高村は、バッグから大事そうに包みを取り出し、
丁寧に中身を取り出し、カウンターの上に置いた。
それは、位牌…。
「…と、いうわけで、こっちが杉澤一人。
 俺の兄貴にして、姉さんの旦那さん」
………
……

「頼むよ夏海…
 俺、お前くらいしか頼れる人間いないんだよ」
「…なんであたしなのよ」
「知り合いだから。
 頭いいから。
 美人だから」
一瞬、あたしの中で時が止まる。
『美人だから』
今まで何度も聞いてきた気がする褒め言葉。
でも、なぜかその言葉が、すごく嬉しかった。
「っ…そ、そんなこと言ったって、
 開店もしてないお店で働けって言われても」
「そっちは俺が何とかする。
 姉さんに、もう一度笑ってもらうには…
 ここから始めるしかないんだよ」
「………」
「夏海ぃ」
「もう、しょうがないなぁ、高村はぁ」




第7章 呼び出し
プルルルル、プルルルル、プルルルル。
「あ、電話」
あたしは立ち上がり、受話器を取る。
「もしもし」
切れてる…いや、まだ『プルルルル』と言う音が聞こえる。
そうか、携帯…か。

あの説得の後…


「なぁ、夏海。
 そういえば番号、教えてくれないか?」
そういいながら高村は携帯を出した。
「え…う〜ん、いいわ」
と、あたしは高村に電話番号を書いたメモを渡す。
「え〜と、042…って、お前これ家電じゃんかよ」
「そうよ。
 だってあたし、携帯もってないから」
「へ、なんで持ってないんだ?」
「いらないでしょ、特に。
 かける相手なんて親くらいだし」
「いや、不便だろ、普通に」
「あたしは、不便じゃないわよ。
 むしろ新歓コンパのときも、追い払うのに役だったわよ」
「道理で夏海が携帯弄ってるとこを見ないわけだよな」
「………」
高村は、ブツブツといいながらも、
メモにある番号を携帯に入れている
「でもさぁ、さすがにバイトするならないと不便だろ」
「それもそうね」


というやり取りがあって、あたしは昨日、携帯を買った。
それで今日掛かって来るって事は、高村に違いない。
あたしは携帯を見つけ出し、通話ボタンを押す。
「もしもし」
「すぐ出ろよな」
「あたしだって色々事情があるのよ」
「そうか、悪いな。
 ところで今時間あるか?」
今日は講義は午後から。そして今は10時。
「あるわ」
「よし、なら昨日の喫茶店まで来てくれないか?
 あ、場所憶えてないなら迎えに行くけど」
「憶えてるわ。
 それに…まぁいいわ」
「なんだよ。 まぁいいや。じゃあ待ってるから」
「わかった」
電話を切って、服を着替えながら呟く。
『どうせあんたがあたしのマンションの場所、
 憶えてないってオチでしょ』




                            to be continued...




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