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第1章 side 仁 『逃走』
俺は…
………
そんな、聖母を、失ったんだ、な…
「…退学届ですか?」
「はい、お願いします」
「そうですか…ご家庭の事情とか?」
「え、あ、まぁ、そんなところですね」
「では、拝見します」
「あ、どうぞ」
「え〜と…」
「そ、それじゃあ、失礼します…」
「高村仁さんね…」
背後に事務員の独り言が響く。
俺は、逃げるように走り出し、そして校門で足を止めた。
振り返れば、そこには楽しかった思い出が見える。
俺は頭を大きく振り、それを振り払う。
「あれ? 高村じゃん」
「あ、あぁ、木崎か」
「どうしたんだお前、休学中じゃなかったのかよ?」
「ちょっと、な」
「ブリックモールで喫茶店やってるって聞いたぜ。
まさか大学だけじゃなくてそっちもサボりか?」
「今日は水曜だから休みなんだよ。
あ、俺用事あるからさ、じゃあな」
俺は、逃げるようにその場を離れ、駆け出す。
「なんだよアイツ…」
「はあ、はあ、はあ」
さすがに、真冬の1月とはいえ、
駅までの道を全力で走れば汗が出てくる。
俺は汗を拭うと、切符を買い、駅に入った。
「扉が閉まります。ご注意ください」
そのアナウンスに我に返った俺は、電車に駆け込む。
これで、全部終わり。お別れだ…。
ガタン、ガタン。ガタン、ガタン。
電車は、規則的なリズムを刻み、
昨日、一睡もしていない俺を、眠りへと誘う。
寝てしまえば、考えなくていい。
俺は、目を閉じた。
『好きだから、好きだから、大好きだからっ!
仁が、憎いよぉっ!』
「おい君、大丈夫かい?」
「うわぁっ!」
目覚めると、そこにはオジサンの顔が。
「ずいぶんとうなされていたみたいだけど、
大丈夫かい?」
「だ、大丈夫です。
すいません」
俺は謝ると、額に浮き出る汗を拭う。
「そうか、なら良かった」
オジサンはそう言うと、席に戻っていく。
「喉、渇いたな…」
俺は、車内販売の売り子さんを探しに席を立った。
「まだ、早いな」
電車から降りた俺は、時計を見て呟く。
周りを見渡すと、チェーン店のコーヒーショップが目に入る。
「コーヒーでも、飲むか…」
俺は、本屋に入り、気を紛らわすための本を買うと、
コーヒーショップへと、足を向けた。
夕方、といっても、この季節だともう真っ暗な時間。
俺は、実家の前にいた。
決心がつかず、なかなか入れないでいたが、
覚悟を決めてインターホンを押す。
「あなた〜、ちょっと出て〜」
中から母さんの声が響く。
「はいはい。
っと、仁じゃないか!」
ドアを開けた父さんが驚いて声を上げる。
「まぁよく来た、さあ入れ入れ」
「あら、仁じゃないの、来るなら前もって言ってくれないと
夕飯も用意できないじゃないの」
両親は、温かく俺を迎え入れる。
でも、顔を見せに来たわけじゃない。
「父さん、母さん、大事な話があるんだ」
「ん…? そうか、なら座りなさい」
俺の真面目な顔を見て、重要な話があると気付き、
神妙な面持ちで席を進める。
「大学を…休学中の大学を辞めて、
こっちで就職したいんだ」
「なに?」
「大学を辞めるって…」
「俺、働きたいんだ、こっちで」
「うむむ…。
仁がこっちで働くって言ってくれるのは嬉しいんだがな、
大学を卒業してからにしないか…?」
「どうしても、今、ここで働きたいんだ。
お願い、父さん、母さん」
俺は、そういって頭を下げる。
「………」
「………」
「そうか、わかった…」
「ちょっと、あなた」
「仁の決意も固いみたいだしな、仁も相当考えたんだろう
もう何を言っても無駄だよ」
「あなた…。
はぁ、そうね」
父さんと、俺の顔を交互に見て、
母さんが諦めのため息をつく。
「仁、大学を辞めることに、後悔はないのか?」
後悔、か…。
「どうした、仁?」
「いや、なんでもない。
父さん、母さん、ありがとう…」
「あぁ、だが中途半端なことは許さんぞ。
後になって、やっぱり大学に行きたいとか、言うなよ」
「わかってるよ、父さん」
「よし、いい覚悟だ。
あ〜、ところで仁、就職先に、アテはあるのか?」
「………」
しまった、それを全く考えていなかった…
「やっぱりな、そんなことだろうと思ったぞ。
しょうがない、わしが紹介してやろう」
「ありがとう…父さん」
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第2章 side 里伽子 『失意』
雪は深々と降り続けている。
辺りに人は見当たらず、音もない、
寂しい、道。
道にも、家の屋根にも、全てを雪が覆い、
目に入る色は、白と黒だけ。
まるで、世界が感情を失ってしまったかのようだ。
そんな中、あたしはただ、歩いている。
この1ヶ月間の、楽しかった世界は、
いつの間にか、色を失ってしまった。
新歓コンパ、ファミーユの開店、5ヶ月遅れの誕生日プレゼント、
仁の20歳の誕生日、初めての…キス。
そして、運命を変えてしまった、火事…。
仁との出会いから、全ての原因となった火事までの出来事が、
走馬灯のように思い返される。
「仁…」
そう呟くと、自然と涙が溢れてきた。
「う、うう…仁、終わっちゃったね…
もう、本当に…お別れ、だね…。
さよなら…仁」
涙は、止まらない。
未練は、ないわけがない。
でももう、仁には会えない、会いたくない。
もう、絶望すら、世界には残っていない。
この『傷』が治る事は、きっとないだろう。
だがもう、どうでもいい。
あたしにはもう、なにもないのだから…。
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第3章 side 恵麻 『心配』
木曜日…
「いらっしゃいませ〜、3名様ですか?
それでは奥の席へどうぞ」
「申し訳ございません、パンプキンケーキのほうは
本日品切れとなってしまって…」
ファミーユは、今日も忙しい。
というよりも…
「なによ…。ファミーユ、
全然回ってないじゃないの」
「え、玲愛?
ファミーユがどうしたって?」
聞き返す瑞菜に対して、返事をする代わりに
視線をファミーユに向ける。
「あぁ、ファミーユ。すごい行列よね。
あれ? でも…全然減ってない…?」
「全く回ってないみたいなのよ。
何かあったのかしら…」
「愛しの高村店長が心配なの?」
「み、瑞菜っ! デタラメ言うなっ!」
玲愛は、そういいながらも、心配そうな目で
ファミーユを一瞥し、店内へと戻っていった。
「かすりさ〜ん、もうケーキがほとんどないよ〜」
明日香ちゃんにそう指摘され、
初めてショーケースの中がほとんど空な事に気付くくらいに、
今のファミーユは壊滅的な忙しさだった。
「わかった明日香ちゃん、ごめん、フロア2人でお願い」
「う、うん。何とか頑張るよ…」
「あの職場放棄店長め〜、何サボってるのよ〜」
かすりは、そう愚痴ると、今日何度目かもわからない
着替えを済ませ、キッチンへと入る。
そこには、生気を失った、パティシエールが1人。
「恵麻さ〜ん、いい加減元気出してくださいよ〜」
「…かすりちゃん、あなた、
仁くんがいなくなっても平気なの?」
…今朝、仁くんから電話があった。
『ファミーユの、店長を…やめさせて欲しいんだ。
理由は、まだ、話せないけど…。
もう、大学も…辞めた。
地元の方で、働くつもりだから…もうそっちにも、行かない。
それじゃあ、ゴメン…』
恵麻さんは、それを聞いて飛び出して行こうとしたが、
何とか引き止めて、今に至る。
正直、引き止められたのすら、奇跡だと思う。
それでも、今のファミーユの危機的状況からすると、
甘やかしているわけにもいかない。
「恵麻さん、お客様は『恵麻さんのケーキ』を、
食べにきているんです。
ここでケーキがなくなったら、信用問題ですよ?
ファミーユ、潰れちゃいますよ?
仁くんの帰ってくるところが、なくなっちゃいますよ?」
「仁くんの、帰ってくるところ…?」
「そうですよ、仁くんのためにも、あたしたちは出来る事を、
精一杯やるしかないんですよ」
「そう、よね…」
まだ元気はないが、恵麻さんはようやく手を動かし始めた。
それにしても…いったいなにが、あったのだろうか?
まさか…リカちゃんと、何かあったのかなぁ…。
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第4章 side 里伽子 『孤独』
「ごほっ、ごほっ」
あたしは気だるさとめまいをこらえて立ち上がると、
右手を壁に沿え、台所へと歩き出す。
そして、コップを取ろうとして壁から手を離したところで
危うく倒れそうになり、コップを取り出すことを諦めると、
水道から直接水を飲んだ。
先日の雪で、風邪を引いたようだ。
ちょっと前なら、仁が…と思いかけて、
あたしは考えることをやめた。
そしてベッドに戻り、目を瞑る。
涙が、出てきた。
いつの間にあたしはこんなに弱くなったんだろう…。
頼れる自分も、頼れる他人も、どちらも失ったあたしは、
自然と母親へと電話を掛けていた。
だが、案の定、留守番電話サービスへと繋がる。
あたしは電話を切ると、テレビをつけた。
無音の部屋に、音が溢れる。
画面は涙でぼやけているので、
なにをやっているのかはよくわからない。
あたしはテレビをつけたまま、眠りに就いた。
普段なら、絶対にやらない、電気代の無駄遣い…。
それでも今のあたしには、その音が心強く感じた。
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第5章 side 仁 『詰問』
プルルルル、プルルルル、ガチャ。
「はいはい高村です…あ、恵麻かい?
そういえばこの前のお見合いのことだけどね…」
「お母さんっ! 今日はそんな話してる暇ないのっ!
仁くん、いる?」
「全く…いつもいつもそんな暇ないとかばっかりねぇ。
仁ね、ちょっと待ってね。
仁〜、電話よ〜」
「あぁ、今行くよ」
そういいながら受話器を受け取ると、
母さんは『もう寝るからね』と言って寝室へと入っていった。
「あ、はい、もしもし…」
「仁くんっ!」
「う、あ…あ、あぁ、ど、どうしたの、姉さん」
「なんでそんなに焦るのよ」
「い、いや、なんでもない。 いつも通りだよ」
「なんでもなくなんかない! いつも通りじゃない!
どうして急にやめるとか言い出したの?
どうして急に実家に帰っちゃったの?
どうして携帯、出てくれないの?
どうして…どうしてなの?」
「………」
「………」
「…ごめん、もう、そっちには戻らない。
ごめん、なにも、言えない…。
ごめん…」
「仁くんっ!」
「ごめん…」
俺は、それだけ言って受話器を置く。
ため息をひとつ。
「明日は、面接か…
俺も、寝るかな…」
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第6章 side 里伽子 『傷心』
2月初旬…
先日の風邪も治り、あたしは大学に来ていた。
試験までは、あと2週間ほどしかない。
だが…黒板にかかれる文字を写すのも、間に合わない。
こんなことじゃ、今期も単位はほとんど取れないだろう。
進級は、ほぼ絶望…。
あたしは、一つ目の講義が終わると、
「どうせもう…、あいつと卒業することも、ないし、な…」
と呟き。席を立った。
サボるなんて、いつ以来だろう?
記憶にないが、もう、大学もどうでもいい。
思い返せば、大学の記憶なんて、
仁か、ファミーユしか、出てこない。
どうせ、ここにもあたしの居場所なんて、
もとからなかったんだ…。
あたしにはもう、行くところが、ない。
いっそもう、大学なんか辞めて、実家に帰ろう…かな。
最近はもう、これしか思いつかない。
あそこになら、実家になら、
あたしの居場所は、あるだろう。
だがそれは、万に一つもないかもしれないが、
まだかすかに残されている可能性を、
完全に捨て去ることになる。
あたしにはまだ、その決心は付かない。
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第7章 side 里伽子 『決心』
2月中旬…
そろそろ、試験が始まる。
あたしは結局決心が付かないまま、また大学まで来ていた。
だが、最近は大学を見て、引き返すことが多い。
今日も、校門をくぐった時点で踵を返そうとしたとき、
不意に声を掛けられた
「あ、夏海だよな?」
「え…? あ、えっと、木崎…君?」
「良かった、表情見て忘れられてるんじゃないかと思ったぜ」
「なんの、用?」
「そんな警戒すんなって。哀しくなるだろ。
…高村の話、聞いていいか?」
「え…
仁が、どうかしたの?」
「いや、この前あいつに会ったとき、
なんか態度がおかしかったんだよ。
しかも今思えば、妙に大きなバッグだったな…」
「………」
「で、ブリックモールで喫茶店やってるって聞いたから、
行ってみたら見あたらねぇし、
しかも金髪のウエイトレスに聞いてみたらさ、
逆にものすごい勢いで質問されたんだよ。
どうなってんだ?」
「…そっちは、キュリオよ。
仁は、ファミーユの店長なの」
「え、そうなのか?」
「そうよ。 じゃあ、あたし用事あるから…」
「え、おい、夏海!?」
あたしはそう言うと、走って駅に向かいだした。
あたしは見つからないように慎重にブリックモールに入ると、
それとなく様子を伺う。
やはり、仁はいないようだ。
それだけ確認すると、あたしは家へと帰った。
もう、気持ちは固まった。
実家に…帰ろう。
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第8章 side 恵麻 『疑惑』
ファミーユは、新しいバイトを採用した。
面接には、結構な人数が集まったらしい。
それもあり、今は表面的には前と何も、
変わっていないかのように、営業している。
「恵麻さん、仁くん…話してくれました?」
「…仁くん、リカちゃんと、
別れちゃったみたいなのよ…」
「えっ、え〜〜っ!!」
「直接そうは言ってないんだけど…、
多分、間違いないわ」
「それで実家に逃げ帰っちゃったわけか…。
でも、話してくれないって…」
「恵麻さん、かすりさん、今の話、本当?」
「あ、ゆ、由飛ちゃん、聞いてたの?」
「で、でも仁くんが直接そう言った訳じゃないから、
まだそうと決まった訳じゃないから」
「そ、そうよね、仁と里伽子さん、あんなにラブラブだったもんね、
どこでもイチャイチャしてたもんね。
もう誰の入る余地もなかったよね。
あそこまで行ったらもう、離れられないよね」
「そ、そうよね。
は、ははは…」
「由飛ちゃん、励ますにしてももっと言い方があるでしょ…」
そう突っ込みつつも、違和感が胸に残る。
『誰の入る隙間も、ない…?
本当に、そう、だった?』
「と、ところで由飛ちゃん?
何しに来たの?」
「あ、あ〜、そうでした!
ショーケースがピンチなんですよ〜」
「え、それを早く言いなさいっ!」
「ご、ごめんなさい〜」
「かすりちゃん? …かすりちゃん?
なにブツブツ言ってるの?
ショーケースの方、ピンチみたいよ?
早く焼かないと」
「あ…は、はいっ!」
『恵麻さんが、もしかして恵麻さんが、原因なの?』
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第9章 side 里伽子 『離別』
2月25日…
ブリックモールは相変わらず賑わっている。
ピークに近い時間を選んで来ているので、
当然と言えば当然なのだが。
あたしはフードコートに空席を見つけると、
そこに腰掛けてファミーユを見た。
由飛さん、そしてかすりさんが目に入る。
「お別れ、ね」
ガサッ。
荷物を持つ右手に力が入る。
ちょうど、かすりさんが注文を持って外に出てきた。
それを置いて戻っていくところを呼び止める
「かすりさん」
「あ、リカちゃんっ!」
「あの…」
「リカちゃん、いったい仁くんとなにがあったの?
お店辞めるって言って、実家に帰っちゃったのよ。
リカちゃんなら、わかるんでしょ?
なにが、あったの?」
「………」
「………」
かすりさんは、真っ直ぐこっちを見つめている。
あたしはその視線を避けてファミーユに眼をやる。
由飛さんが忙しそうにしながら駆け回っている。
「そうゆうこと…なの?」
「………」
「やっぱり、仁くんと別れちゃったの?
ねぇ、リカちゃん…答えてよっ」
由飛さんがこっちを見た。
「………
かすりさん、これ、返しといてください…」
かすりさんの前に荷物を出す。
「これって………?
リカちゃんの、制服じゃない。
これが…返事、なのね?」
「………」
由飛さんが、またこっちを見る。
心なしか表情が怒っているようだ。
「やっぱり、恵麻さんが…?」
「………っ」
「―――」
かすりさんが口を開こうとした刹那、由飛さんの声が響いた。
「か〜す〜り〜さ〜んっ!
なにサボってるんですか〜っ」
「ゆ、由飛ちゃん、今、それどころじゃなの、
大事な話の最中なの!」
「またそんなこと言って、もう騙されませんからね〜」
かすりさんの注意が由飛さんに向けられる。
「そ、それじゃあ、かすりさん」
あたしはそのスキに立ち上がり、逃げ出した。
「あ、リカちゃんっ!」
「え、里伽子さん?
あぁ!」
『ごめんね、みんな…。
ちゃんとした挨拶もしないで…』
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第10章 side 里伽子 『帰結』
「…退学届ですか?」
「ええ…お願いします」
「そうですか…ご家庭の事情とか?」
「まぁ…そんなところ、です」
「では、拝見します」
「どうぞ」
「え〜と…」
………
「…さよなら」
「学籍番号246392…夏海里伽子さんですね?」
「はい…経済学部の3年です」
「わかりました。
では本当にいいんですね?」
「はい…」
「わかりました」
「………」
あたしは無言でその場を去る。
もう、ここに来る事はないだろう。
校門で振り返り、最後のお別れを、大学に。
「さよなら…みんな。
さよなら、仁…」
さぁ、また誰かに会わないうちに、家に帰ろう。
あたしはそう思い駅へと歩き出す。
プルルルル、プルルルル、プルルルル。
「あ…」
携帯が鳴り響く。
「もしもし…」
「あ、里伽子?」
「母さん…?」
「お母さん? じゃないわよ。
ゆうべの話の続き!」
「あ、ああ、そのこと…」
「いきなり『大学やめてそっち帰る』ガチャン、じゃ、
何が何だかわからないでしょう?」
「あ、ああ…ごめんなさい。
ちょっと、その…」
「あんたの一生の問題でしょう?
そんな一人で簡単に決めていいと思ってるの?」
「そのことなら…帰ったら話すから。
今は、そっとしといてよ…」
「帰っちゃったら、もう大学に戻れないじゃない」
「とにかく…今は、そっとしといてよぉ…」
「………」
「お願い…母さん」
「里伽子…何が、あったの?」
「………」
「今ならまだ、間に合うかもしれないでしょう?
話して御覧なさいよ」
「…もう、終わっちゃったの!
手遅れなの…」
「………」
「退学届、出しちゃったから…。
もう、全て、終わってるの…。
それじゃあ…」
もう、枯れたと思っていたけど、また涙が溢れ出す。
あたしは駅前のベンチに腰掛け、涙が止まるのを待った。
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第11章 side 里伽子 『虚偽』
ガタン、ガタン。 ガタン、ガタン。
あたしは一人、無機質な振動に揺られていた。
ローカルで帰ったほうが、経済的にはいい。
でも、一人になりたかった。
『これからも、ずっと一人なのに、ね…』
あたしは自嘲的な呟きをもらした。
「あははは…あはははははははっ!!!」
なんだか、おかしくなってきて笑いがこぼれる。
まるで、あのときのような笑い声。
その空虚な響きが、余計に哀しかった。
ザザァ…ザザァ…。
波の音が、聞こえてきた。
実家が、見える。
この時間は、きっと誰もいないだろう。
あたしはドアの前に立つと、持っていたカバンを下に置き、
鍵を取り出した。
ザザァ…ザザァ…。 ザザァ…ザザァ…。
とりあえず荷物を置いたあたしは、
海を眺めていた。
こうしてのんびりと海を眺めるのも何年振りだろう?
癒される、といった気持ちはないが、
何も考えずにいることは出来た。
今は、波の音が孤独を紛らわせてくれる。
ザザァ…ザザァ…。
日が落ちてきて、海が赤く染まる前にあたしは家へと戻った。
そろそろ母さんが帰ってくるかもしれない、
と言うこともあるが、あたしはあの火事の一件以来、
どうしても夕焼けが、好きになれなかったからだ。
一面に染まる赤は、あのときのファミーユを思い起こさせる。
そしてそこから続く闇夜は、あたしの心…。
ガチャ!
「里伽子? いるの?」
母さんの声が響く。
「…ただいま」
「ただいま、じゃないわよ。
いったいどういう事なの?」
「………」
「黙ってたってわからないじゃないの」
あたしは、覚悟を決めた。
…嘘を、つき通す覚悟を。
「実は…ちょっと大学で、人間関係に悩んでて…
それで、少し精神的に参っちゃったみたいで、ね。
やっぱり、あたしには『都会』ってのが、
合わなかったみたい。
こっちでゆっくり休んでから、今後のことは考えるわ…」
「………。
里伽子…どうしてそんな大事なこと、
すぐに言ってくれなかったの?
母さんは、いつだって里伽子の味方なのよ?」
その言葉に、胸が…ズキリと痛む。
「…心配、かけたくなかったから。
母さんに、これ以上負担をかけたくなかったから…。
…ごめんなさい」
「里伽子…」
「………」
母さんは、あたしの顔を見つめている。
そこにあるのは、嘘偽りのない、暗い…影。
「わかったわ。辛かったでしょう、里伽子…
しばらくはゆっくり休みなさい。
お母さんは、お仕事があるから、
あんまりついてあげられないけど…」
「一人でも…大丈夫よ、母さん。
一人が…落ち着く、よ」
「そうね…。
あ、里伽子、ご飯はまだよね?」
「…食欲、ないの。
ごめんなさい…」
「そう…。
食べないのは体に悪いんだけど…」
「もう、寝るわ。
別に、起こさなくてもいいから」
「そう…」
心配そうに見つめる、母さんの視線から逃れるようにして、
あたしは自分の部屋へと入る。
本当に、もう寝てしまおう。
何もかも、投げ出したいけれど…
何も投げ出せない左腕を見ながら、あたしは眠りに就いた。
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第12章 side 仁 『贖罪』
今日も、何事もなく過ぎていく。
この仕事にも慣れてきた。それでも、
穴の開いたこの心では、些細な日常なんて、
1滴も残らず流れ出てしまうのだろう。
今日も、何事もなく、過ぎていく…。
「あ、高村さん。 皆で飲みに行きませんか?」
同期の女の子が、声を掛けてくる。
「あ〜、ごめん。
今日は遠慮しとくよ。
まだ結構仕事残ってるんだ」
言いながら俺は書類の束を持ち上げてみせる。
だが、実際それは単なる口実だ。
俺には、皆と騒いで楽しむようなことが、出来る訳がない。
「そうですか…残念です。
でもあんまり頑張りすぎるのも良くないですよ」
「ありがとう。
気を付けるよ」
「それじゃあ、お先に失礼しますね」
………
……
…
「だから言ったじゃない。どうせ断られるだけよって」
「でも、高村さんって、なんだか影があってカッコいいじゃない」
「まぁねぇ。
でも、付き合い悪いし、仕事人間って感じよね」
「まぁそう高村を悪く言うなよ。
あいつは凄く出来た奴だぞ?
皆が嫌がる事も、率先してやってくれるしな」
「そうですよね〜。
さすが課長、よくわかっていらっしゃいますね」
「おいおい、おだてても奢らんぞ」
「ちぇ、けち〜」
………
……
…
「ふぅ、ようやく半分か…。
うわっ! もう10時か。残りは家だな…。
早く帰らないと母さんが心配するだろうし」
俺は手早く片づけを済ませ、立ち上がった。
「っと…」
軽く、立ちくらみがしてよろける。
「さすがに、疲れてるのかな…。
いや、でもまだまだだ」
俺がこうしている間にも、あいつは苦しんでいる。
だから、俺は楽な生き方をしちゃ、ダメなんだ。
俺が、あいつに…里伽子に出来る償いは、
もうこれくらいしか残されていないのだから。
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第13章 side 恵麻 『計画』
ファミーユの日常から、『店長』がいなくなってから、
もうずいぶんと経つ。
いつの間にか、もうそれが新しい『日常』となって、
ファミーユは回っている。
もう、12月も中盤に差し掛かり、クリスマスが見えてきた。
相変わらず人がギリギリのファミーユは、
クリスマスはフル稼働が約束されているので、
それに備えて体力温存、と言うことで、
恵麻さんとわたしは交代でシフトを短くしている。
「うわ〜、恵麻さん、気合入ってますね」
キッチンに入りかけた私の耳に、由飛ちゃんの声が響く。
「ん〜、恵麻さんがどうしたって?」
「だって、恵麻さんこれだけの仕込を今朝やったんだって」
「へ〜、そりゃあ…って!
あの恵麻さんが、朝やったってぇっ!?」
「かすりちゃん、わたし、決めたのよ。
やるときはやるって」
「決心だけで出来るようなことだったら、
今まででも出来てたと思いますけど…」
「あはははは…」
「さぁさぁ、由飛ちゃん。サボってないでしっかり働く!」
「かすりさんにだけは言われたくないよ〜」
ブツブツ言いながらも由飛ちゃんはフロアへと消えた。
「…恵麻さん?」
「なに、かすりちゃん」
「何を…決めたんですか?」
「………」
「………」
「お盆も、一人さんの命日も、仁くんは会ってくれなかった。
きっと、正月も会ってくれないと思うの」
「ええ…」
「だから…
1月に…仁くんに会いに行く。
仁くんを、問い詰めに、行く」
「………」
「どうして、大学やめちゃったのか…。
どうして、お店もやめちゃったのか…。
どうして、急に実家に帰っちゃったのか…。
どうして…リカちゃんと、別れちゃったのか…。
だから、ごめんね、かすりちゃん…。
代わりに今、頑張るから…」
「恵麻さん、ここのことは心配しないで、
行ってきてください。
恵麻さんがいないあいだ、不肖この涼波かすり、
頑張って恵麻さんの代理を務めますとも」
「ありがとう…かすりちゃん」
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第14章 side 恵麻 『聖夜』
………
……
…
「うん…あ、姉さん…
メリー・クリスマス」
「イブ、だってば」
「はは」
「メリー・クリスマス…」
携帯は、無機質な音を返す。
わたしの最後の言葉は、届けられなかったようだ。
いや、むしろ仁くんの心に届いた言葉なんて…
「…恵麻さん?」
仕込みをしていたはずのかすりちゃんが、
心配そうな顔で更衣室を覗き込んでいる。
「…かすりちゃん」
「どう…でした?」
「やっぱり…はぐらかしてる感じがする。
正月もうちにいないと思って間違いないわね…」
「そう、ですか…」
「ううん、でも…予想はしてたから。
かすりちゃん、よろしくね」
「はい…」
「そんなに心配しなくてもいいのよ。
家族の悩みを聞きに行くだけなんだから。
さぁ、仕込みの続き、やるわよ!
今日はイブだもの、頑張らないと」
「…あのっ、恵麻さん」
気合を入れなおしてキッチンに向かおうとすると、
かすりちゃんに呼び止められた。
「どうしたのかすりちゃん?」
「もしかして、恵麻さんが…」
恵麻さんが、別れた原因かもしれない…
でも、恵麻さんのいったい何が…?
仁くんが、恵麻さんを大切にしすぎた…?
でも、そんなのは昔からそう。
我慢の限界?
そういえば、リカちゃん…なんか変だったなぁ。
でも…あの2人が、たったそれだけの事で、
別れてしまうものだろうか…
しかし、喉まででかかった思いは、
言葉にはならずに胸にしまわれていった。
「あ…いや…。
なんでもないです。
…イブですもんね。
気合入れて頑張りますか〜!」
「そうね」
「おはようございま〜す。
う〜、寒いですね」
「おはよう、由飛ちゃん」
こうして、ファミーユの1年で最も忙しい日は幕を開けた。
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第15章 side 仁 『聖夜』
『どうして…
リカちゃんと、別れちゃったの?』
『で、来年は3日までいるから、
今度こそゆっくりと話させてね』
………
……
…
朝の電話が、思い出される。
まだ、話すことなんて出来ないから…
俺は、姉さんからは、逃げるしかない。
正月に、暇そうな奴…か。
まぁ、タメの奴らはまだ大学生だし、きっと暇だろう。
今回は、この手でいいかな。
姉さんを避ける算段を立てていると、
お盆を手にした同僚の女の子が声を掛けてきた。
「高村さん、どうしたんですか?
深刻そうな顔しちゃって。
あ、もしかしてクリスマスで、しかも土曜なのに
仕事をしてるのが嫌になったんじゃないですか?」
「あぁ、いや、ちょっと考え事してただけだよ。
それに…イブ、だよ」
「イブでも何でもどっちだっていいじゃないですか」
「まぁ、そうかもね…」
「じゃあコーヒーここ置いときますから」
「あぁ、ありがとう」
淹れて貰ったコーヒーを一口飲む。
…不味い。
最近は慣れてきたが、
やはりインスタントのコーヒーの味には、馴染めない。
だけど、ここ10ヶ月、ちゃんと淹れたコーヒーも、飲んでいない。
どうしても…ファミーユを、
楽しかった日々を思い出してしまうから。
「ん…っ」
大きく伸びをして時計に目を向けると、
もう、針は9時を指していた。
「もうこんな時間か…。
帰るかな…」
鞄に書類を詰めて立ち上がる。
体が、重く感じた。
ファミーユ時代とは違う、心地よくない、疲れ。
俺はのろのろと駅へと歩き出した。
駅前は、カップルで溢れかえっていた。
不意に1年前が思い出される。
「里伽子…」
呟きは虚空へと消え、返事の代わりに雪を降らせる。
ホワイトクリスマスだな…。
ロマンチックなその響きはしかし、容赦なく俺の胸を抉る。
刹那、視界の端に紫の髪が映り込んだ。
「あ…あ…っ!」
俺は駆け出して、その後ろ姿を追う。
途中、サラリーマンにぶつかりながら、
もう1度、その後ろ姿を視界に捉えると、
期待は一瞬にして、落胆へと変わる。
「はは…こんなところに、いるわけ…ないじゃん…
なにやってんだよ、なぁ…」
さすがに1日に2回もこんなことをしていれば、
哀しくもなってくる。
それでも、追わないわけにはいかない。
万に一つもない可能性でも、
この世に『絶対』なんてないから。
それに…
里伽子は、俺のかけた鎖から、逃げることは出来ずに、
永遠に、俺と繋がったままだから…
あいつには、外せない右手の『枷』以外には、
もう、何も残っていないから…。
俺には、背負いきれない『十字架』…
里伽子が背負わせられるのも、俺しかない『十字架』…
もはや、俺と里伽子を繋ぐものは、
こんな狂気にも近いような想いしか残されていない。
気が付けば、肩に雪が積もっていた。
俺はそれを払いのけようとして、腕を上げかけて止めた。
『雪なんて…もう、見たくもない…』
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第16章 side 里伽子 『聖夜』
最近よく夢を見る…
つまんない恋をしていた、あの頃のあたしの…
朝、母さんが家を出てから、起きて、
動かない左手に、現実に引き戻される。
もう、毎日のように繰り返される絶望の儀式に、
あたしの涙は枯れ果てたのか、最近は泣くことも少なくなった。
だが、笑うことはもっと少なくなった。
最近は、夢の中以外では笑っていないかもしれない。
あたしは立ち上がり、伏せられた写真立てを眺めると、
そこには埃が積もっていた。
「寒っ…」
もう12月。
さすがに寒いので、ワイシャツではなく厚手のシャツ1枚に、
ショーツと言うシンプルな格好。
当たり前だが、寒さを防ぎきることなど到底出来ない。
あたしはボタンを留めていないシャツを脱ぎ、
ハンガーに掛けたままのブラジャーを掴む。
「はぁ…」
片手で器用に着け、フロントのホックをはめると、
深く溜息をついた。
あたしは着替えを済ませると、誰もいないキッチンに行き、
コーヒーを淹れて部屋に戻る。
窓から、海が見える。
今日も1日、海を眺めて過ごす…
コーヒーはもはや冷め切っている。
あたしは飲む気にもなれず、捨てようと思い、
キッチンに行くと、ドアの開く音がした。
「ただいま。
里伽子、いるんでしょう? ちょっとこれ持って」
「…おかえり、母さん。
早いのね」
玄関に出迎えると、母さんは箱を差し出した。
「あんたどうせまた一人でゴロゴロしてるんだろうと思ってね。
ケーキとチキンを買ってきたのよ。
これからスープでも作るわね」
「いいよ…。 そんなに食欲ないし…」
「ダメよ、ちゃんと食べないと。
里伽子、あんた最近ずいぶん痩せたんじゃないの?」
「………」
母さんの前で、食べるわけにはいかない。
でも…、心配してくれる母さんの優しさが嬉しかった。
「それでも…今は、食欲ないの…。
明日、きっと食べるから…今は、ケーキだけで、いい」
きっと、今日は無理言って早く帰って来たに違いない。
そんな優しさを、無駄にすることなんて出来なくて…。
「そう…。 じゃあ後でちゃんと食べるのよ」
「うん、わかった」
母さんは、微笑むと両手に大きな袋を持ってキッチンへ向かった。
それにしても、どうやってケーキの箱、持ってたんだろう?
母さんは、買ってきた野菜を、
ビニール袋から冷蔵庫へと詰め込みながらあたしに聞いた
「紅茶淹れるけど、里伽子はコーヒーがいいの?」
「母さんと一緒でいいよ」
「そう。
じゃあ待っててね」
「お湯、沸かしとくね」
あたしはヤカンの中に朝沸かしたお湯―今はもう水だが―が
入れっぱなしだったことを思い出し、それを火に掛けた。
「あら、ありがとうね」
かあさんの背中が返事を返す。
それにしても色々買ってきたみたいだ。
もしかしたら、後でおせちをつくるつもりなのかもしれない。
そんなことを考えながら食卓に着く。
ちょうど詰め込み終わると同時にお湯が沸いた。
「はいどうぞ」
そういって小さ目のホールから、
6分の1にカットされたケーキを渡される。
「いただきます」
こうして母さんと向き合って食べるのは久し振りだ。
いや…、そもそも誰かと食事をすること自体が、
久し振りなのだけど。
「里伽子、そんな食べ方して…
行儀が悪いわよ」
何気ない言葉が突き刺さる。
「………
ごちそうさま…」
「もっと食べる?」
「ううん、いい…」
「そう」
「うん、もう…寝るね」
「そう…おやすみなさい」
「…おやすみなさい」
………
……
…
「里伽子…。
あの子、10ヶ月も経つのに、全然良くなってない…
全然ご飯も食べてないし…
やっぱり人との接触を避けてるし…
それに…」
『どこか、違和感が…』
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第17章 side 『正月』
「もしもし?」
「あ、俺だよ」
「なんだ、杉澤か」
「今は高村だよ。
いい加減憶えろ」
「どっちでもいいだろ。
かわんねぇし。
それよりなんで公衆電話なんだよ?」
「あ、あぁ。
携帯壊れてて…」
「そうか。
で、いまどこなんだ?」
「え〜と、駅前の電話ボックスにいる」
「ははは、そりゃそうだな」
「ははは」
「じゃあそのままその辺りにいてくれ。
迎えに行く」
「あぁ、悪いな」
「気にすんなよ」
電話ボックスから出て、
ポケットから少し冷めた缶コーヒーを取り出すと、
携帯が鳴り出した。
「うわっ」
しまった…さっき番号を確認したときに電源を入れて、
そのままにしていた。
恐る恐るディスプレイに写される文字を見ると、
そこには溜まりに溜まったメールを受信している様子が
映し出される。
「ふぅ…」
電話じゃなくて、良かった。
今かかってくるとしたら、間違いなく姉さんだ。
俺は携帯の電源を切るとバッグに無造作に投げ込んだ。
ぬるくなった缶コーヒーを飲みきってゴミ箱を探していると、
後ろからクラクションが鳴り響いた。
「よう、タカムラヒトシ。
久し振りだな!」
「あぁ、久し振りだな。
いつ以来だ?」
「そうだな…。
お前が引き取られてからはそう会ってないよな」
「そうかもな」
「にしても変わってないな。
今にも倒れそうなところとか、
小学校の頃のまんまじゃないか」
「…ははは」
「悪い悪い、冗談だよ
さぁ、乗れよ」
「あぁ」
「それにしても突然でビックリしたぜ」
「悪いな。
就職前に昔の友達に会っておきたくなって」
嘘も、準備していただけあって滑らかに口に乗せられる。
「あぁ、わかるぞその気持ち。
そんなことだろうと思って他にも呼んどいたから、
今日はプチ同窓会な」
「ははは…ありがとう」
「気にすんなって」
………
……
…
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第18章 side 恵麻 『出発』
「恵麻さん恵麻さん、どうでした?」
「うん…、やっぱり仁くんはいなかった…」
「そうですか…」
「うん、でも大丈夫。
予想、してたから」
「それじゃあ…」
「そうね、今度の水曜日に、実家に行って来る。
木曜日は、よろしくね」
「任せてください!
恵麻さんは、自分のことだけ考えてればいいですから」
「ありがとう…かすりちゃん」
………
……
…
「今日こそは、捕まえるわよ…」
そう声に出して決意する。
そうでもしないと、不安に押しつぶされそうだから。
仁くんは、戻ってこないかもしれない…。
肯定したくない思いが、強くなっていく。
それでも、仁くんは大切な家族だから…。
家族は助け合っていくものだから…。
何を背負っているのかわからない、
何で言いたがらないのか、わからない。
でも、一人では、背負わせない。
………
……
…
列車に揺られ、目を瞑り、物思いにふける。
…そういえば、なんで仁くんは私を避けるんだろう?
リカちゃんと別れた事だって、言ってくれなかったし…。
『もしかして、恵麻さんが…』
『リカちゃんが仁くんをふったのって…
多分、姉ちゃんのせいよ』
かすりちゃんが言いかけたセリフに、
1年前の、自分のセリフが被ってフラッシュバックする。
まさか…?
プルルル!プルルル!
突然携帯が鳴り響き、数人のサラリーマン風の乗客が、
迷惑そうに視線をよこしてきた。
私はそそくさとデッキに向かうと電話に出た。
「…恵麻さん?」
「あ、かすりちゃん。
どうしたの?」
「迷ったんですけど、やっぱり言っておこうと思って…」
「え…?」
「仁くんが、実家に帰る少し前…
確か…恵麻さんが、手首を捻挫したときです。
あのときのリカちゃん、なんか変だった…。
うまくいえないんですけど…
余裕が、ないような」
「………」
「それに、リカちゃんが、
2月に1回お店に来たときなんですけど…」
「制服を…返しに来たとき?」
「あ、そうです。
あのとき、リカちゃんに
『もしかして、恵麻さんが原因で…?』
って、聞いたんです。
そしたら…」
「………」
「あ、直接そう言ってた訳じゃないんですよ!」
「やっぱり、そうなのかしら…」
「え、恵麻さん?」
「ううん。
ありがとう、かすりちゃん。
決心付いたわ」
「…恵麻さん。
きっとうまくいきますよ」
「そうね…」
きっと、これは私と、仁くんと、そしてリカちゃんの…
3人の問題なんだろう。
仁くんとリカちゃんの、2人だけでは埋められなかった何かが…
きっと2人の間にあって、
そして…それは、私なんだろう。
仁くんとリカちゃんに出来なかったということは、
きっと、私が動かないといけないことなのだろう。
家族として…仁くんの幸せのために。
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第19章 side 恵麻 『到着』
「もしもしお母さん?
今仁くん、いる?」
「こんな時間にいるわけないでしょ。
会社よ、会社」
「そう…」
「何か用事だったの?
緊急なら会社の電話番号教えるわよ?」
「あ、いいのよ。
そうゆうことじゃないから」
「そう…。 相変わらず変な娘ねぇ。
ところで恵麻?
またお見合いの話が―」
「お母さん。
ちょっと、いい?」
「な、なんだい?
急に真面目な声なんか出して」
「これから、そっちに行くから」
「これからって、今からかい?」
「もう、途中まで来てるから。
あと1時間もかからないわ」
「だけど急にどうしたのよ?」
「仁くんに、話があるから…。
お正月も、仁くんいなかったじゃない」
平日なら、絶対いるでしょ?」
「そうだけど、あの子帰ってくるの遅いわよ?
それにあんた仕事はどうするの?」
「休み、もらった。
それに、仁くんの方が大切でしょ?
今の仁くん…絶対に、普通じゃ、ないでしょ?」
「………
そう、ね」
「それじゃあ、仁くんには言わないでね」
電話を切ると、情けない音と共に力なく電源が切れた。
そういえば昨日から充電していなかった。
そういえば充電器…持ってなかったかもしれない。
まぁ、必要なら買うかコンビニとかで充電すればいいだろう。
駅に着くと、もう結構な時間になっていた。
伸びきった影は薄くなり、闇に溶け込み始めている。
タクシーを呼び止めると、行く先を告げて目を瞑る。
仁くんは、私に応えてくれるだろうか?
私は、仁くんの心の扉を開くことが出来るのだろうか?
………
「お客さん、着きましたよ」
運転手の声に目を開けると、そこには見慣れた実家があった。
料金を払い、車から降りる。
すると車の音を聞きつけたお母さんが顔を出してきた。
「やっぱり恵麻だったのね。
寒いでしょ、はやくお入り」
「ただいま、お母さん」
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第20章 side 仁 『交錯』
時計の2つの針が、少しずつその間隔を縮めていき、
描く角度が鈍角から鋭角へと変わっていく。
今日も、もうほとんど誰も残っていない。
俺は小さく溜め息をつくと荷物を乱暴に鞄につめ込んだ。
入れ損ねた手帳がするりと逃げて床に落ちる。
身をかがめてその手帳に手を伸ばす。
『逃げてばかりだな』
手帳はしゃべらない。
でも、そう言われた気がした。
こうするしかないんだ…
こうしないと、何かの拍子に溢れ出たときに、
姉さんを傷付けてしまうかもしれないから。
今はまだ…
ノロノロと歩いて家へ帰る途中、空に流れ星が見えた。
願い事を一つ。
これが、夢でありますように…
目が醒めたら、火事なんか単なる悪夢だったって、
そこにはファミーユ本店があって、
みんな笑顔で働いていて…、
そんな、願い事…
「ぐわっ」
突然、世界が傾いて、地面に叩きつけられた。
どうやら、小石に躓いたらしい。
「痛てて…」
この痛みが、現実の証、か…。
打ちつけた膝をさすりながら立ち上がる。
幸いにも、スーツに穴は開いてないみたいだ。
「ただいま…」
「おかえり、仁くん」
運命の輪は、知恵の輪の如く絡み合い、
歯車は、激しく軋みながら、また回り始める。
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第21章 side 仁 『開戦』
『オカエリジンクン?』
なんで姉さんがここにいる?
流れ星が、願いを叶えてくれて、
ファミーユも、兄さんも、
失う前まで戻ってきたのか?
「ほら仁くん、
ぼ〜っとしてないで入りなさい」
姉さんはそういいながらドアを閉めて鍵を掛けた。
俺は促されるままに居間へと足を進めた。
姉さんは正座し、口を開いた。
「さてと、仁くん?
そこに座りなさい」
指し示されたのは、膝の先。
あぁ前にもこんなことあったな…。
それにしても、流れ星は、いったいどんな世界に
俺を連れて行ってくれたのだろう?
膝を突き合わせて正座し、姉さんの方を見る。
「仁くん。
どうして姉さんを避けるの?」
現実は、いつだって残酷だ。
あのときも、今も。
「え…いや、避けてなんか…」
言いながら、俺は立ち上がろうとする。
だが、あわてて立ち上がる俺よりも、
それを予想していた姉さんの方が素早く動いて腕を掴んだ。
「仁、座りなさい!」
今日はもう、逃してくれるつもりなんてないようだ。
仕方なく、姉さんの膝から数センチのところにまた正座する。
「説明しなさい。
なんで姉ちゃんを避けるの?」
いつのまにか、口調が結婚前に戻っている。
「………」
姉さんには言えない。
声に出したら、溢れ出てくるかもしれないから。
沈黙が、時を重く、硬く変える。
カチコチと時計の音が、やけに大きく響く。
母さんと父さんはどうしたのだろう?
出てこないという事はおそらく姉さんが
『2人で話したいから出てくるな』
とでも言ったのだろうか。
「聞いてるの? 仁!」
沈黙は、鋭く放たれたその言葉で破られた。
俺はファミーユに、もう戻らない…いや、戻れない。
覚悟を決めるときだ。
「き、聞いてるよ…」
そう答えはしたが、どうすれば姉さんを傷付けずに、
納得させられるのだろうか?
どこにその答えがあるのだろうか?
わからないまま、またいたずらに時が過ぎていく。
しかし、その沈黙はすぐに破られた。
「リカちゃんと…」
「えっ?」
「リカちゃんと、ほんとに別れちゃったの?」
「………
あぁ…うん」
姉さんは、方針を変えて聞き出す事にしたようだ。
「…どうして?」
「………」
だがその方針転換もすぐに頓挫した。
なぜなら俺が…
その質問に答える術も、持たないから。
その質問の答えが…全ての答えだから。
「リカちゃん、そんな酷いこと言って、
仁くんを振ったの?」
「里伽子は…
里伽子はそんなことしないっ!」
思いがけず放たれた中傷の言葉に、思わず叫ぶ。
「じゃあ、どうして…
どうして実家に帰っちゃったの?」
「っ…」
追い詰められていく。
どうしても鍵を掛けておきたい部屋のドアが、
開いてしまうかもしれない…
抉じ開けられてしまうかもしれない。
「俺が…
俺が里伽子と別れたのは…」
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第22章 side 恵麻 『核心』
「俺が…
俺が里伽子と別れたのは…」
そのまま、仁くんは目を泳がせ、言葉を失った。
やっぱり…
「何か、隠してるでしょ?」
「そ、そんなことない!」
仁くんは身を乗り出して否定する。
「じゃあ、なんで何も言えないのよ?
どうして訳を話してくれないのよ?」
「そ、それは…」
再び、目を逸らして呟いた。
もう、疑う余地なんか、ない。
「姉ちゃんの…」
「えっ?」
「姉ちゃんのせい、なんでしょ?」
「そ、そんなこと…」
「仁くんとリカちゃんが別れちゃったのって、
姉ちゃんが原因なんでしょ?」
「何度も言ってるだろっ!
姉ちゃんは関係ないっ!」
「じゃあ、なんで話してくれないのよっ!
何が原因だって言うのよ!」
私は知っていた…
リカちゃんが、どれだけ仁くんの事を好きだったか。
あの、ファミーユの火事の時…
2人にとって、どれだけ大切な時期だったのか。
あの時…私がリカちゃんから、仁くんを奪ったから…
仁くんの間違った優先順位を直してあげるどころか、
リカちゃんに、見せ付けてしまったから…
だからリカちゃんは我慢できなくなって…
「そ、それは…」
「やっぱり私が…原因なんでしょ?」
あの、手首の捻挫のとき。
あの後から、リカちゃんはおかしかったって…。
「そんな事、ない。
俺が…里伽子のこと、わかってなかったから…」
「…そう、ね。 わかってなかった。
リカちゃんがどれだけの事を我慢していたのか…
あの、火事の後から…
どれだけの我慢を、積み重ねていたのか…
全然、わかってあげなかった」
………
「ね、姉さんがなんでそれをっ?」
何故か酷く動揺したような素振りで、仁くんが口を開いた。
「あんなに、お互い想ってたのに…
今でも、ずっと好きなのに…
どうして逃げてるの?」
「なんで、姉さんが…」
「やっと叶った想いだったんでしょ?
どうしてそんなに簡単に手放すのよ?
離さないようにしてないとダメじゃないっ!
なんでしっかり掴んでおかないのよ?」
「………」
「リカちゃんと別れて…
勝手に実家に帰っちゃって…
私を避けるみたいにして会ってくれなくて…
やっぱりリカちゃんと別れたのは…
あの時のこと…ずっとひきずってたからなんでしょう?」
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第23章 side 仁 『決壊』
『あの、火事の後から…』
『アノ、カジノアト…?』
カジ…
かじ…
火事…
火事、だって!?
「ね、姉さんがなんでそれをっ?」
「あんなに、お互い想ってたのに…
今でも、ずっと好きなのに…
どうして逃げてるの?」
その言葉が、傷を…
今でもポッカリと大きく口を開けた心の傷を、抉る…
「なんで、姉さんが…」
別れのシーンが、フラッシュバックし、思考が停止する。
「やっと叶った………
どうして………手放すのよ?
離さないように………ダメじゃないっ!
………掴んで………?」
停止した思考に断片化された言葉が、
容赦なく胸に突き刺さる。
「リカちゃんと別れて…
………帰っちゃって…
………避けるみたい………なくて…
………リカちゃんと別れたのは…
あの時のこと…ずっと………でしょう?」
そして、ついに…
「仁くん、今からでも…まだ間に合うよ?
離しちゃったのなら…
また、繋ぎなおせばいいじゃない」
そして…
――――決壊した。
「あ…あ…あぁ………うわぁぁあぁ…!!!」
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第24章 side 恵麻 『理由』
『あ…あ…あぁ………うわぁぁあぁ…!!!』
「じ、仁くん!?
どうしたのっ?」
「掴めないんだよ…」
「えっ? なんて言ったの、仁くん?」
「里伽子の手…
掴めないんだよっ!
繋げないんだよっ!
もう…動かないんだよっ!!!」
リカちゃんの手が、動かない…?
どういう、事?
別れた原因って…
「あの火事で…
あっ………」
仁くんが突然口を噤む。
火事…?
動かない、手…?
位牌に、手を合わせてくれなかった…
ファミーユにも戻ってくれなかった…
クリスマスケーキの試食の時も、おかしかった…
他にも――
振り返れば思いつく、数々の違和感。
あの時、
幸い、誰もけが人はいなかった?
そんな事、なかった…
『リカちゃんは、ケガをしていた―』
「なんで…
何でそんな大事なこと…」
そこまで口に出して…私は気付いてしまった…
私がそのとき、仁くんを…
リカちゃんから奪い取ってしまったから…
やっぱり、私が…原因なんだ…。
仁くんはもう、上の空で…
虚ろな目をしながら
「…知らなかったんだよ
あのときは…まだ…」
と、うわ言のように呟いている。
そんな仁くんは見ていられなくて…
私ももう…なにも考えることも出来なくて…
もう何も言えなかった…。
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第25章 side 恵麻 『真実』
やっぱり、私が…原因なんだ…。
深い自責の念が、寒さと共に身に沁みる。
時間も忘れて飛ぶ出してきてしまった私は、
あてもなくふらふらと駅へと歩いていた。
先の決心は、寒さと後悔ですっかり縮んでしまった。
私は…どうしたらいいの?
仁くんは…どうしたら幸せになれるの?
「一人さん…どうしたらいいの?」
見上げた空は、心を映したかのように新月だった。
人通りもまばらな中、私の思考は寒さで次第に冷静さを取り戻し、
私に、1つの疑問を投げかけた。
『なんでリカちゃんは、あの時間にファミーユにいたの?』
そして今度こそ、答えは一人さんが持っていた。
『位牌』…だ…っ!
たまたま庭に転がっていたわけなんか、ない…。
仁くんが、なによりも家族を大切にしてるから…
だから…リカちゃんは、火事の中に…
誰か1人が悪いわけではない。
仁くんと…リカちゃんと…、そして私の行動が…
悪い方へと重なって、最悪の結果を紡ぎ出してしまった。
ただ、それだけ。
だがそれだけが、遥かに…重い。
「あぁもう、私の負けよっ」
もともと、勝ち目なんかない勝負だったんだ。
でも私は、戦えてるなんて、思ってた。
仁くんのため、と言いながらも、
もしかしたら…の気持ちがなかった
そう言ったら嘘になる。
それでも、見えたから。
そこが幸福につながる道なのか、
それとも迷宮へと誘う階段なのか。
それはわからないけど、一縷の光が、見えたから。
ただ仁くんのために、その道を、進もう。
「もらってくれるって、言ってたのになぁ」
苦笑しながらのその呟きは、
駅前のネオンに照らされた空に消えていった。
to be continued...
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